アメリカの大量殺人事件
上記の表は、アメリカ国内で発生した殺人事件(主に銃乱射事件)のうち、犠牲者が最も多かった10件をまとめたものである。 1984年のサンイシドロ・マクドナルド虐殺から、2023年のルイスティン銃撃事件まで。いずれも単なる「事件」ではなく、国家や社会の構造的課題を突きつけた出来事として記憶されている。
銃社会の矛盾が生んだ「民間人による大量殺人」
上位を占める事件のほとんどが、一般市民による銃乱射である。
第1位の「ラスベガス銃撃事件(2017年)」では、ホテルの高層階から500メートル先の野外コンサート会場に向けて自動小銃を乱射。わずか10分足らずで60人の命が奪われた。
この事件を契機に、連邦政府は“バンプストック(連射補助装置)”の禁止を打ち出したが、銃規制全体の流れを変えるには至らなかった。
偏見と過激思想の交錯
第2位の「パルス・ナイトクラブ銃撃(2016年)」は、LGBTQ+コミュニティを狙ったヘイトクライムとして記憶されている。
性的少数者に対する偏見と、過激思想の拡散という2つの社会問題が交錯し、事件後にはオーランド市民による追悼行進が行われた。
学校・教会・公共空間――「安全圏」が崩れる
第3位の「バージニア工科大学銃撃事件(2007年)」、第4位の「サンディフック小学校銃撃事件(2012年)」、第9位の「ロブ小学校銃撃事件(2022年)」など、教育機関での乱射が続いた。
銃を手にするのは学生自身である場合も多く、未成年でも容易に武器を入手できる現実を浮き彫りにしている。
特にサンディフック事件では幼い子どもが多数犠牲となり、当時のオバマ大統領が涙を流しながら銃規制強化を訴えた姿が全米に報じられた。
「誰もが集う場」が狙われる
第5位の「サザーランドスプリングズ教会銃撃事件(2017年)」や第6位の「ルビーズ・カフェテリア銃撃事件(1991年)」のように、宗教施設や飲食店といった「誰もが集う場」も標的となっている。
そこに共通するのは、“偶発的”ではなく“社会的孤立・怨恨・極端思想”が引き金になっている点である。
「日常の空間」が戦場に変わる――商業施設での惨劇
第7位の「エルパソ・ウォルマート銃撃事件(2019年)」では、ヒスパニック系住民を狙った白人至上主義的動機が確認された。
第8位の「サンイシドロ・マクドナルド虐殺(1984年)」では、当時としては前例のない21人が死亡。
この事件以降、全米で「アクティブシューター(無差別銃撃者)」対策が制度化され始めた。
商業施設はもはや安全な空間ではなく、政治・人種・宗教を超えた暴力の舞台となっている。
止まらぬ惨劇、鈍い制度――「銃規制」の限界
全米では事件のたびに銃規制論争が起きるが、憲法修正第2条(武装の権利)を盾にした反対運動が強く、抜本的改革には至らない。
一方で、警察やFBIの対応の遅れ、SNSを通じた犯行予告の見落としなど、行政側の問題も多い。
2022年のユヴァルデ小学校事件では、警察の突入遅延が全米的な非難を浴びた。
銃乱射の「日常化」が意味するもの
事件の発生間隔は、近年ほど短くなっている。
1980〜90年代は数年に一度の「衝撃的事件」だったが、2010年代以降はほぼ毎年のように“mass shooting(大量射殺)”が発生している。
アメリカ社会は今や「いつどこで起きても不思議ではない」状態にある。
まとめ:数字の背後にある「構造的暴力」
この表に示された「死者数」は、単なる統計ではない。
その背後には、銃が簡単に手に入る社会、分断と孤立が進む人間関係、そして“個人の怒り”を誰も止められない国家の現実がある。
アメリカがこの連鎖を断ち切るには、銃だけでなく、教育・医療・メディア・SNSなど、社会全体の再設計が求められている。
「銃撃のたびに祈る」社会から、「祈りが不要な社会」へ――その道のりはいまだ遠い。